がんは悪い病気?

怒りをエネルギーとして生きてきた女性のSAT療法

出口史江さん(仮名・56才)
スキルス性胃がん

手術、薬物、放射線療法をすべて回避し、SAT療法をうけてきた。

【切らない治療の選択】

 出口史江さんは、早急な対応が必要とされるスキルス性胃がんと癌研と診断されましたが、手術を受けず、納得できる医療を粘り強く探し続けました。最初から手術を受けないと考えていたわけではありません。むしろ切ろうと思って診察を受けていたと言います。がんが見つかった直後、当時の人気司会者、逸見政孝さんが同じスキルス性胃がんで亡くなりました。このことから、史江さんが、がんは必ずしも切れば治るものではないと思うようになりました。さらに、「開腹手術をすると、もぐら叩きのように次々と手術をすることになる」ケースもあることや、「抗がん剤で命が延びる人もいるが、逆に命が縮む人もいる」ことを知り、これらを考え合わせて手術はしたくないと考えるようになったのです。
 このほか、手術を受けないという考えに対して医師から一方的に叱責されるなど、医師の対応に何度も苦い思いをさせられたことも、「切らない選択」を後押しすることになったそうです。

【家族の物語】

 史江さんの母親は病弱にもかかわらず、我慢強く、働き者。婿養子として母親と結婚した父親もやはりまじめ一筋の働き者。しかし、堅物の父は母の思いに寄り添うことができず、育ちの違いや価値観の違いが夫婦関係に影を落としていたそうです。ただ、娘の史江さんにとっては、楽しいとは言えないものの、愛情は感じられる家族だったようです。史江さんは結婚して1男1女を得ましたが、小学校の教諭として仕事に追われ、家庭や夫のことは二の次でした。定年退職を控え、夫と向き合う生活に不安を感じています。

【心のカルテ】

 史江さんの心理データでは、セラピー開始前の時点では、自己抑制度と自己憐憫度が高めに出ていましたが、数回のセラピーで低くなりました。他の項目については回を追う変化は概して大きくありません。史江さんのようにエネルギッシュでプラス思考が強い人は、心理データに反映されにくい傾向があります。不安や抑うつも一貫して低く、自己価値感はほとんどの場合で9点以上と十分高く、問題を認知していないことがわかります。その分ストレスが身体化しやすく、実際にセラピーのなかでも、身体化した症状から身近な問題に関連するストレスの存在に初めて気づくことが何度もありました。そのような意味では、感情認知困難症が心理データとして表れている以上に強いと言えます。遺伝的気質は、該当気質は循環気質(5点)と執着気質(5点)、準該当気質は新奇性追求気質、粘着気質、不安気質(各3点)。

 

3代前から伝わる「援助症候群」「救世主症候群」

 教師や医師、看護師など対人援助や対人支援の仕事を選ぶ人のなかには、困っている人や困難な状況にある人を援助することに強いこだわりを持つ人が少なくありません。相手の気持ちへの配慮が不足したまま、勝手に「こうしてほしいに違いない」と支援の手を差し伸べます。支援された人は、ありがた迷惑に感じていることさえあるのですが、表向きは支援してくれた人に感謝するふりをし、支援した本人は「いいことをした、相手も喜んでくれた」と勘違いしたまま満足しています。
 このような傾向のことを、私は自戒の意味も込めて「援助症候群」とよんでいます。一般には「救世主症候群」とも呼ばれています。人を助けることで自分が必要とされていることを確認したいだけ。こういう人は、不思議に、自分の過去の未解決な問題と共通な問題を抱えている人に引き寄せられるようです。無自覚とはいえ、その人を援助することで、過去のトラウマ記憶が癒されるからでしょう。
 史江さんは、初回のセラピーで、自分がそのひとりだと気がつきました。史江さんの援助症候群の起源は母方曽祖父の生い立ちにありました。
 この曽祖父が生まれて間もなく、母親は産褥熱で亡くなりました。曽祖父は、「自分を産んだために亡くなった」と強い罪悪感を感じたようです。曽祖父の生家は蔵を2つ持つほどの資産家でした。彼は、長じて一家を構えると、自分と似た境遇の子どもたちや、生活に困っている人たちに金品をどんどん分け与えました。おかげで蔵は空になり、家族はその日の暮らしにも窮するようになりました。
 史江さんは、小さい頃から、この曽祖父に顔も性格もよく似ていると言われてきました。「実は迷惑に感じていた人もいたんでしょうね。だから思ったほど感謝してもらえず、それがいっそう援助に拍車をかけることになったのかもしれません」と、史江さんは自分のことのように語り、自分がなぜ「子どもたちのために」とエネルギーを燃やすのか、また上司とぶつかるのか、その理由がわかってきました。
 こうして、自分の行動の理由に気づくだけでも、援助症候群の度合いは弱まってきます。この援助症候群こそが、史江さんの仕事をストレスの強いものにし、家庭では夫との関係にも強く影響していました。

怒りがエネルギーの源泉

 史江さんの「再養育イメージ法」のポイントは母方の曽祖父のイメージ変更です。曽祖父が生まれたときに、適切な産後の処理ができる産婆さんが来てくれるイメージを導入することで、母親が亡くなることが避けられるイメージが持てるようになりました。このイメージが浮かぶと、曽祖父は援助症候群になることもなくなります。わが子に愛情を注ぎ、他人を助けるにしても、相手の気持ちをよく確認しながら余裕の範囲内で援助するようになるので、家庭の内外に問題が起きません。
 この環境で祖父が育つと、働き過ぎや過度の自己抑制もなく、栄養も十分なので健康な体になります。母方の祖母も自分をあるがままに認めてもらって成長すると、心身ともに健康になります。こうした理想の祖父母に育てられると、史江さんの母親も過度の我慢をしなくなり、健康で自分らしい生き方ができるようになり、史江さんの妊娠を安心した気持ちで迎え入れることができるようになります。
 さらに父方も、働く一方ではなく、子どもと一緒に遊んで楽しむ家系のイメージを導入することで、父親も生活を楽しみながら自分の人生を生きる人になり、妻と一緒に子どもを大事に育てる環境を整えてくれるイメージに変わりました。
 再養育イメージ法を行った結果、史江さんは、「子どものために」、「子どもがかわいそう」と、子どもへの影響にのみ過剰にとらわれ、上司と戦うことなく、仕事上で自分の取るべき行動が冷静に判断できる感覚に変わってきました。

本当の自分はどんな自分?

 史江さんには2人の子どもがいますが、その間に自然流産を経験しています。仕事で無理しすぎて流産してしまったのです。また、史江さん自身は3人きょうだいですが、上に自然流産したきょうだいがいて、女の子と感じていました。母親が病弱な体だったことが原因だと思われます。
 この亡くなった子どもたちのイメージを「亡き子誕生・成長イメージ法」によって癒すことで、史江さんのなかに安心感が生まれてきました。「自分の周りには自分を守ってくれる人がいる」、「ひとり頑張るのではなく、周りに協力してもらえばいい」というように、それまでの生き方とは対極の生き方が必要であることに気づきました。母親と死別した母方曽祖父のトラウマ記憶イメージや、さらに自然流産した自分のきょうだいや子どものイメージの影響も重なって、誰も守ってくれない、誰もあてにならない、自分でやるしかない、という生き方をしてきたことがわかったのです。
 これまでの生き方を変えていく必要があることに気づいた次の段階は、では、「どんな生き方が本来の自分らしい生き方なのか」に気づくことがテーマとなってきます。そこで第4回目のセラピーでは、「未来自己イメージ法」を実施しました。
 まず「最初の1年間をどのように過ごしたいですか。なるべく非現実的な楽しいことを考えてください」と伝えると、史江さんは、「刺繍や可愛いアップリケを娘のためにしてやります。それと、畑で花や野菜を栽培します」と、さも楽しそうに話し始めました。2年目は「土いじりに没頭します。野菜が成長し、季節の花が満開に咲くと、満ち足りて落ち着いた気持ちになります」。そして、このように10年過ごすと、「自分はまるで子どもみたいに純真で、天真爛漫になります。とにかく元気で楽しく暮らしています」と、未来の自己イメージが目に浮かんできました。
 天真爛漫な本来の自分になっていくためには、今、どうしたらいいか、ひらめいたことを答えてもらったところ、「人を許せるようになることです。相手が私に合わせるのではなく、私が相手に合わせられるようになることが必要です」と、胃がんなど消化器性のがんが持つ自己イメージがつくりだす生き方の本質的な課題に気づくことができました。
 しかし、今はそれができません。そこで、「人を許せるようになることを妨げている気持ちや感情は何ですか」と尋ねると、悲しさや情けなさと無力感であり、それらの感情の背後には「やっぱりできない」という心の声と、自己否定の焦りがありました。史江さんは、こうしたトラウマ感情の根っこにも、母方曽祖父の問題があることを直感していました。曽祖父のトラウマ記憶イメージは、これまでに再養育イメージ法で癒していますが、それだけでは癒しきれない根の深い問題をまだ残しているようでした。

そんなに頑張らなくてもいい

 曽祖父と史江さんの境遇で共通しているのは、母親の体が弱かったために甘えることができなかったことです。この子どもの頃の自分の気持ちに重ねて、職場では子どものためにと必死になったと見られます。そのつながりが自覚できれば、過去の記憶イメージを癒すことで、史江さんの問題も大きく進展するはずです。
 このイメージ変更に用いたのは「観音イメージ法」でした。観音様となった母親が、小さな赤ん坊の曽祖父を手のひらで包み込むようにして胸に当て、神秘的で神々しい雰囲気のなかでやさしく慈しむ情景を、史江さん自身が曽祖父になったつもりでイメージしてもらったのです。しばらくすると、曽祖父は穏やかな表情になり、その表情のまま成長した曽祖父は、家族を大切にして財産を守りながら、自分の子どもを分け隔てなく愛する人のイメージになります。そのような家系のなかで育ったとすると、史江さんのイメージも、自分の思いを表現できる人になってきました。
 そして、そんな自分なら、「自分だけ必死に頑張らなくてもよく、周囲の人にもその人の能力以上を要求することがない仕事のやり方に変われます」ということでした。史江さんは、「曽祖父からの影響がこんなに強いとは」と驚いていました。
 なお、史江さんに実施したこのイメージ法は必ずしも観音様にこだわる必要はなく、聖母様とか、本人の宗教観や意向に合わせて実施しています。

新しい人生への出発

 史江さんは、第一線からの引き時について悩んでいました。満期定年退職するか、1年早く退職するか決めかねていたのです。早期定年退職すれば気持ちはラクになるだろうと思いながら、その一方で不安もありました。しかし、その不安は心理データにも免疫データにも表れてきません。
 この不安について話していくなかで、背後に「私ってだめかなあ」という孤独感、「どうなっちゃうんだろう」という焦りが隠れていることがわかりました。この孤独感と焦りから連想された小学生時代の記憶イメージと、さらにそのイメージから想起した胎内イメージを癒すことで、史江さんは早期退職する方向に気持ちの整理がつきました。「退職後はゆっくり温泉につかりながら、今後何をするか考え、その後に土いじりを開始して、夏は収穫…」と考えていくうちにワクワク楽しくなってきたと言います。突然の辞意に周囲は驚いたそうですが、意思が固いことを伝えて退職が決定しました。そのときの気持ちを、史江さんは、「今までの自分はいったい何だったんだろうと思いますね。体調まで10歳若返った感じ」と、明るい声で話してくれました。
 セラピーの進行に伴って史江さんの気持ちは少しずつ軽くなっていき、職場での人間関係も緊張関係からリラックスできる関係へと変わっていきました。早期退職はその延長線上で実現したものです。

人生の慶びを分かち合える夫婦に

 悠々自適の生活に入って2ヶ月後、史江さんは、毎日同じ時間になると胃が痛くなることに気づきました。午後6時半と夜中の11時半です。セラピーのなかで、レモンの絞り汁を飲むイメージを思い浮かべるなどして右脳を刺激した後に、その原因をひらめきで探ってもらうと、それは夫の存在だということに思い至りました。
 自宅に隣接した事務所で自営業を営む夫が、毎日その時間になると台所に入ってくるのです。細かいことはあまり気にしない史江さんにとって、潔癖性の傾向のある夫が台所に入ってくることが、実は強いストレスだったのです。「夫も寂しいんだなあ」、「好きなように温泉に行っても文句ひとつ言わないことに感謝しなければ」と思うことで、気分は少し楽になってきたのですが…。この夜毎の胃痛を契機に、夫との問題に取り組むことになりました。夫は、史江さんによれば粘着気質らしいとのこと。とすると、たとえ夫婦の間でも上下関係をはっきりさせないと落ち着けません。夫婦のうち夫が粘着気質の場合、妻を部下として位置づける傾向がありますが、史江さんの夫もそうだと言います。となると、夫を立てることができさえすれば、案外うまくいくはずなのです。
 ところが史江さんの場合、しぶしぶ結婚した経緯があり、夫にも「やってもらって当たり前」と、夫を立てるどころか下に見てきたところがあります。さらに粘着気質の人は、次々話題を変え、しかもテンポの速い循環気質の人の会話についていけません。夫が史江さんと話をしたがらないのは、話し合いをすると言い負かされてしまうからでしょう。
 史江さん夫婦は、このように気質の面から見ると、相手の気質への理解に欠け、互いに期待しても手に入らないものを期待し合い、その結果、互いの不満を増大させている関係にあると言えます。そこで、史江さんに「気質の組み合わせに関するガイダンス」を行いました。
 ポイントは、相手の気質を知り、期待しても無理なことは期待せず、期待できることを期待すること。具体的には、
1.執着気質の史江さんは、自分にも相手にも完璧を求めず、「30%できればよし」と自分に言い聞かせるようにする。自分と同じものを相手に求めない。
2.すべて話し合いで解決しようとせずに、考えていることを紙にメモを書いて渡し、夫が納得できるまでじっくり読んで考える時間を提供する。
3.依頼やお願いも、粘着気質の人には命令に聞こえることがあります。夫に指示する形は控え、「○○なんだけれど、どうしたらいい?」というように、夫が判断できる機会を増やす。
 気質の面から夫をとらえなおすことで、史江さんは、これまで見過ごしてきた夫の別の面に気づきました。仕事中心で家庭のことは十分にできなかったことも、がんが発見された後は湯治でしょっちゅう家を空けることも、夫は何も言わずに好きにさせてくれています。そのことに気づき、夫に「感謝の気持ち」を感じるようになったのです。
 史江さんにとっては、夫婦の問題に向き合っていくことが、人生をいっそう豊かに、そして歓びの大きなものにしていくための今後の重要な課題であると思われます。

生理データの変化

 心理データには変化が反映されにくい史江さんですが、遺伝子防衛力や免疫力には、史江さんの重要テーマの進展に伴って変化が表れています。
 RB(自分を愛する指標)は、第3回、10回、16回に活性化を示しています。第3回は、再養育イメージ法での対応が一通り終了した段階で、第4回の冒頭には最近の感想として「相手と真っ向からぶつからなくなりました」と話していることから、援助症候群への初期の対応が終了した段階です。第10回は観音イメージ法によって援助症候群への深い対応を行った段階、第16回は、気質の理解から退職後の夫との関係に安定を感じた段階です。いずれも、史江さんにとって重要なテーマに前進が見られたときに上昇しています。
 さらに無意識のなかでも次の問題を感じ始めると、再びRBが下降してくる傾向を示しています。史江さんにとっては、自分に自信を持つことが重要なことのように読み取れます。
 反対にp53(人を愛すると発現するがん抑制遺伝子)は、ずっと低下していたものが、退職後夫との問題を考えはじめ、その後夫への感謝を感じ始めてから、上昇を示し始めています。最初、他人への無条件の愛のつもりで行動していたのが、実は援助症候群(自分が無条件で愛されたい)によるものであることに退職後に気づき、夫との関係を見直し始めてから、p53が上昇し始めるのはうなずけます。白血球成分のリンパ球と好中球の割合は改善を示し(図1)、リンパ球数は明らかに増加しています(図2)。

SAT療法開始直後はリンパ球数が1500/μ強で持続していますが、早期退職が決定した直後の第10回以降は2000以上へと急に増加しその状態を維持しています。NK細胞の活性度は30~70%の間で良好に維持されています(図3)。史江さんの免疫防衛力は、まったく良好なものになっています。スキルス胃がんと診断され、8年間転移もなく過ごせるのはこの腫瘍免疫力の高さによるのかもしれません。また史江さんは8年後、がんの専門病院で検査をしてもらって、がんが消失していることがわかりました。スキルス性胃がんの消失はめずらしく、最近がん学会で発表されたとのことです。

※詳しくは、宗像、小林著「健康遺伝子を目覚めさせるがんのSAT療法」春秋社2007を参照